デザイン画をカタチに変えるパタンナーの魅力
ハタンナーは、テサイナーが描いたデサイン画をもとに型紙(パターン)をおこして洋服の原型をつくるのが主な仕事です。
その善し悪しで洋服の価値が決まるといわれるほど重要な役割を担っています。
Aさんは、どの会社にも所属せす、自分の腕一本で活躍するフリーバタンナーです。
自宅が仕事場です。
2DKの一部屋を専用で使っていますが、だんだん荷物が増えてきて居場所が狭くなってきました。
打ち合わせ以外は家での仕事になりますが、ひとり集中してできるので苦にはなりません。公私の切り替えをどうするの、と時々聞か
れることがありますが、好きなことをしているので何の問題も感じていません。
「お洒落に目覚めた」のは、中学2年生のときだそうです。
姉が買ってきた雑誌「オリーブ」をみて衝撃を受けました。
自分で洋服をつくってみたいと思ったAさんは中学3年生の夏、姉のブラウスを参考に、バターンからひいて、ピンクハ
ウス系のシャーリングの入ったフラウスを制作したそうです。
将来の目標が定まったときかもしれません。Aさんは、服装科のある高校で学んだ後、文化服装学院服装科技術専攻に人学しました。
デザイン専攻ではなく、技術専攻にしたのは、パターンのできるデザイナーになりたいと考えたからです。
授業はパターン実技が中心でした。シーチング布で立体化していくトアールを組む授業が、ワクワ
クするほど楽しかったんです。パタンナーになりたいと思ったのは、ごく自然に決めていたように思います。
卒業後、日本初のフラウス専門メーカーである老舗会社にパタンナーとして採用されました。
その中で希望通りのブランド担当に配属されたときはうれしかったですね。同プランドのチーフデザイナーであるYさんのことは、雑誌「装苑」で知っていたんです。さりげなくパリのエスプリが漂っている雰囲気が好きでした。
ところが、4.年後、このプランドが廃止になることになったんです。
社の方針だから仕方がないけど、思い入れがあったから、へこみましたね。
それで別のプランドに移るか、他社に転職するか、独立するか。それも正直悩みました。
結局4年間の思いをふっきるために、転職しました。
イッセイミヤケグループのブランドです。最初はアルバイトでしたが、半年後に正社員になりました。
結果からいえば私の選択は正解でした。自分の世界が広がりましたから。
在籍中パリコレ裏方として4回行きましたが、世界のモードの最前線の現場に触れたことは、私の財産になっています。
また、このブランドの担当時代にコンピュータ技術を教えてもらいました。実務をしながらですから、必死で覚えましたね。でも、それが逆に良かったと思います.
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在籍したのは7年間です。またまだ学ぶことはあると思いましたが、それ以上にいままでの枠からはみ出したくなったんです。フリーの身分で、とこまで自分の力が発揮できるか試してみたかったんです。
独立1年目は友人が立ち上げたはかりのブランドに携わった。そのうち、Aさんの実力を知る古巣の会社を始めいろいろなブランドから仕事が来るようになりました。年2回の尺コレクションにも複数のプランドから依頼されて参加している。
仕事のとっかかりは、デザイナーとの打ち合わせです。そのときに絵型をもらうときもありますがFAXの場合もありますそれもまとめて来るときも、一枚ずつくるときもあります。デザイナーはなるべく新しいアイデアを出したいのか、どうしても展示会ギリギリのスケジュールになることが多いんです。そうなれば、もちろん私はきつくなりますがこればかりはしようがありません。
コレクション用の作品などは、面白いカタチのものも多いんです。ショーで観客がびっくりしてくれたり、メディアに取り上げたりすると、もちろんのことうれしいですね。ですから、コレクションは、自然とモチベーションもあがるので、忙しくてもやりかいを感じます。
作業はますデザイン画を見ながら、構想を練ってトア?ルでカタチを決めていきます。
つまり、立体裁断ですね。
次に、その布のカタチを作図用紙に写し、「デジタイザー」に貼り付けて、スキャンします。
データ化してコンピュータに入力。そこからCAD作業に入ります。
指示書を見ながらラインを引き直したり、縫い代を付けたり、いろいろな作業が画面上でできるので便利です。
昔はロール紙での作業だったことを思うと、かなり負担が軽くなりました。時代に感謝してます。
絵だけのイメージを立体化していくので、デザイナーとは何度もディスカッショョンをします。細かく修正を重ねながら、お互いの思っているシルエットをつくりあげていきます。そのやりとりか楽しいんですよ。
そこでゴーサインか出たら、試作品をつくる工場向けに仕様書を書きます。だれにでもわかるように作り方を指示するわけです。
今後は若い女住向けのブランドだけでなくキャリアと実績を重ねてきたからこそできる分野に挑戦したいと思っています。
老後は近所の手芸好きな人たちを集めて、ソーイングを教えたいですね。洋服を手作りする楽しさを伝えていければと思っています。